人を変えようとするのではなく、自分が変わりましょう他人の心はコントロールできない。変えられるのは、自分だけ。でもお話しておりますが、自分以外の人(他人)というのは、基本的に自分にはどうすることもできません。

わかってほしい?

無理です。

変わってほしい?

無理です。

他人にそのようなことを要求するのが、そもそも間違っていることに気付かなくてはなりません。

仮に他人が本当に変わることがあるとしたら、それは「自分で変わろうと思ったから」なのです。

誰かに何かを言われたのがきっかけになることはあっても、本当にその人自身を変えることができるのは、本人だけなのです。

他人の気持ちは、絶対にわからない

私は、相手(他人)の本当の気持ちを知ることなど、できないと思っています。

相手の心の中を覗くことなどできませんし、相手が本当のことを話してるかなど、絶対にわかるはずがないからです。

なので、相手の言葉はできるだけそのまま信じるようにしているのです。

というか、そうしています。

相手の言葉の裏を読もうとすると、不幸になるのを知っているからです。

悪いように受け取ってしまえば、たとえ本当に相手はそんなつもりが無くても、あなたはきっと嫌な気持ちになるでしょう。

なので、詮索なんてしない方が良いのです。

相手の本当の気持ちなど、絶対にわからないのですから。

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自分の気持ちを相手に伝えることも、不可能

同時に、自分の気持ちを相手に伝えることも、不可能だと思っています。

相手(他人)の気持ちを本当に理解することはできないのですから、その逆だって同じです。

私の本当の気持ちを、相手に伝えることも、理解させることも、できません。

ましてや、理解させようとすることなど、到底不可能でしょう。

分かり合えるなど、嘘だと思っています。

だけど、思いやることはできる

しかし、たとえ相手の気持ちがわからなくても、自分の気持ちを相手に伝えることができなくても、またわかってもらえなくても、お互いに思いやることは可能であると考えています。

お互いに思いやることは可能なのです。

それは時として誤解を生んだり、行き過ぎてしまうこともあるかもしれません。

なかなか、難しいものだと思います。

だから悩むし、迷うし、考えるのです。

でも私は、それをとても美しいと思うのです。

相手(他人)を思いやり、悩み、迷い、考えることのできる人は、美しい。

たとえ相手がその気持ちに答えてくれなくても、気にしません。

見返りなど求めず、思いやりたいから思いやる。

助けたいから助ける。

与えたいから与える。

それはひとえに、愛だと思います。

寄り添いたければ、寄り添えばいい

相手(他人)に理解を求めることはせず、変化を期待することもせず、それでもあなたが相手を信じたいのであれば、信じても良いのです。

信じても良いし、寄り添いたければ、寄り添ってもいいのです。

ただし、同じことを相手に要求してはなりません。

また、相手の嫌がることをするのもいけません。

相手がどう思うか、何を考えるか、そしてどうするかは、すべて相手の自由であり、あなたにはどうすることもできない領域なのです。

しかしそれでも、あなたが相手を思いやりたいのであれば、信じたいのであれば、それでいいですし、寄り添いたければ、寄り添っていいのです。